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実体のある基礎の構築を試みる
神学部淺野淳博 教授【後編】
経済政策を学ぶ中で見つけた問い
私は最初から新約聖書学を専門にしていたわけではありません。大学の学部時代は、経済政策のゼミでアメリカ経済を研究していました。研究の途上で、当時話題のレーガノミクスという政策が破綻してしまいました。レーガン大統領がその経済政策をあっさりと変更してしまったからです。1980年代初頭のことです。そのために私の研究は大きく方向転換することを余儀なくされました。経済大国の政策が変わることで多くの人の暮らしに多大な影響が及ぶことを思う中で、経済政策という学問の魅力を再確認したことも確かですが、その一方で大国の土台があんがい脆弱であることに不安も覚えました。そのようなプロセスを通じて、自分が生きるための実体のある基礎、信頼できる土台とは何か、ということを思い巡らすようになりました。
留学中に得た気づき
私は、今から120年ほど前に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が住んでいた山陰は松江市の出身です。私の高祖父にあたる人はこのハーンから英語を学んでおり、そのことは私の親族のあいだでの自慢です。それも手伝って、私は大学時代に1年間アメリカの片田舎に留学し、そこで経済学を学びました。地元の学生たちと話しをする中で、宗教心が当たり前のように話題に上ることを発見しました。これほどに資本主義が徹底され合理的だと考えていた国で、彼らはその倫理に神を持ち出します。先進国に追いつくためには唯物的合理主義を突き詰める必要があると思っていた私には驚きです。彼らの伝統的な開拓精神や、ときとして強すぎる正義観の背景に、宗教心があることは意外な気づきでした。こうして実体のある基礎を模索する私は、彼らの宗教心の源である新約聖書に出会いました。