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大学で体験した「本当の学び」が人生を決めた
法学部石田眞得 教授【後編】
センバツ出場時には関西学院大学のグラウンドで練習
私は愛媛県出身で、祖父母はみかん栽培と稲作をする農家でした。子どもの頃は農作業の手伝いもしました。みかんの花の甘い香り、懐かしいですね。小学校ではソフトボールに熱中。中学・高校は野球に打ち込み、昭和62年の第59回選抜高等学校野球大会で甲子園に出場しました。ポジションはキャッチャーで、ベンチ入りはしたものの、正捕手ではなかったのでプレーをすることはなく、伝令として甲子園球場のグラウンドに立ちました。試合は残念ながら初戦敗退でした。私たちの高校は大会前の早い時期に関西入りしました。宿泊所は宝塚だったと思いますが、練習場所はなんと関西学院大学。現在G号館があるところが当時のグラウンドで、そこを借りて練習や調整を行いました。今、私の研究室は当時練習をしていたG号館にあり、何か不思議な縁を感じています。
「手形・小切手法」の担当教授に憧れて研究者に
高校卒業後、大学に入った私ですが、当初は研究者になりたいとはまったく思っていませんでした。しかし、「手形・小切手法」の講義を受けたことが、私の人生を決定づけました。担当の教授は黒板に図を書いて説明をするのですが、内容がすべて教授の頭の中で整理されているせいか、その図を使った解説がすごく分かりやすい。問題設定を変えては、また検討する。受講していた学生は30~40名でしたが、教授は六法を片手に持ち、次々と学生に発言させながら、双方向型の授業を進めていくのです。私はノートを取ることも忘れて、教授の書いた図に見入り、議論を聞いていました。「これこそが大学の勉強だ、自分もこの教授のようになりたい」と思って、研究者の道を選択しました。学問の面白さに刺激されたこともありますが、手形・小切手法の教授に憧れたことが大きかったですね。