What We Want Students to Learn

人間福祉学部藤井美和 教授【後編】

死に直面して、人生が変わった

記者としての充実した日々が、あるとき一変

 学生時代は刑法を学び、法曹の道を志望していましたが、経済学の授業をいくつかとっていくうちに考えが変わりました。弁護士などの仕事は起こったことに対処することが主な役割ですが、経済はリアルタイムの動きが求められる、そこを魅力的に感じ、卒業後は新聞記者を目指しました。就職して5年目、働く女性に向けた新聞の創刊号に、副編集長として関わることができました。毎晩、終電にも乗れないくらい忙しい日々を送っていましたが、充実した毎日でした。ところが仕事中、突然頭痛としびれが始まり、3日間で全身マヒになり、救急病棟に運ばれました。28歳のときでした。指1本動かせない中で、「今晩だけは頑張りなさい」と主治医から告げられました。

死に直面して人生を振り返ったことが大きな転機に

 私は数万人に一人という難病にかかったのですが、なんとか一命はを取りとめることができました。死に直面したとき、「私は何のために生きてきたのだろう」という思いが湧き上がってきました。一生懸命していた仕事は、私の人生の最期を支えてくれるものではありませんでした。また、「私は人のために何かしてきたのだろうか」という思いも。仕事ばかりで、自分を支えてくれた家族に対して何もできていなかったことにも気づきました。その後2年半ほどリハビリを続け、なんとか自分で歩けるところまで回復しました。当たり前のことが当たり前にできる喜びを感じながらも、これから自分はどうやって生きていこうかと絶えず考え、仕事をやめて別の生き方をしようと決心したのでした。

学び直し、アメリカで博士号(Ph.D.)を取得

 新聞社をやめて、死にゆく人のケアとソーシャルワークを学ぶため、関西学院大学に学士入学したのが1990年。ソーシャルワーク実習では、大学病院で白血病の子どもたちに関わりました。しかし当時は大学でも臨床現場でも、死について学ぶことはできませんでした。誰もが迎える死について、最後まで生きることを支えるケアについて、もっと学びたいと考え、修士課程を終えた後、フルブライト奨学生としてアメリカ、セントルイスのワシントン大学に留学。博士課程では、がん患者さんのQOLについて研究しました。難病にかかり、死に直面してから11年が経った1999年、博士号(Doctor of Philosophy)を取得。新たなスタートに立ち、日本に帰国して関西学院大学で「死生学」を教えることになったのです。

存在そのものに意味があることを見つめる

 私の研究室には多彩な学生が集まってきます。看護師の資格を取ってから、人間のことを知らないままで看護師にはなれないと入学してきた人、卒業後に牧師になった人、医学部を受験して医師になった人、アメリカの大学院で病気の子どもと家族を支える専門資格を取った人、生活保護ワーカーになった人、人間を撮りたいと助監督として頑張っている人…。卒業生を見ていると、「死生学」を学び、いのちに向き合うことは、常に自分が問われ、何かに突き動かされることなのだと思います。学生には、合理性や生産性、効率性を基本とする世の中の“ものさし”で「いのちの価値」を測っていいのかと、常に問いかけています。人はありのままで価値がある、存在そのものに意味があるということを見つめるところから、死生学の研究は始まります。