Research 研究

子どもたちに必要な「ことばの学び」とは

教育学部原田大介 教授【前編】

音読って、本当に必要なの?

 私の研究の一つの柱が、小学校における国語科教育です。国語科は「話す」「聞く」「書く」「読む」といった言語行為の力を育む教科です。私たちの多くは、子どもの頃に国語科教育を受けてきました。例えば、教科書を声に出して読む「音読」を思い浮かべてみましょう。多くの人にとっては何の抵抗もありませんが、言葉がスムーズに出ない吃音のある子どもや人前で話すことが苦手な子どもにとって、音読は苦痛でしかありません。そもそも音読という行為に、言語行為を高めるほどの教育的な効果は期待できません。宿題にあるからと、機械的な発話(いわゆる棒読み)を保護者の前で繰り返す子どもたちがいることも想像に難くありません(笑)。発達段階を問わずに教室で音読が続けられる背景には、「国語科では音読をするものだ」という教員個々の信念や思い込みがあります。国語科教育を成り立たせている教育内容や活動場面を検証してみると、子どもたちの「学び」として本当に必要なものなのか、怪しいものが少なくないことがわかります。

言語(バーバル)と非言語(ノンバーバル)をくっつける

 国語科教育は政治的・制度的にどうあるべきか、というマクロ問題を研究する一方で、「明日の45分の授業をどうすればよいのか」というミクロ問題にも取り組んでいます。昨年は大阪府寝屋川市内にある小学校の先生方と一緒に、「教科書がつまらない」「活字を読むのが苦手」という児童にどのような国語の授業ができるのかを検討しました。例えば4年生で学ぶ新美南吉の「ごんぎつね」。「ごん」の気持ちを考えるときに、ただ単に教科書の本文の読解を目指すのではなく「ごん」の絵日記を書く活動を授業に入れることにより、活字が苦手な子も「ごん」の気持ちを絵にすることで読みを深めていました。低学年の段階では、言語(バーバル)としての活字を読んだり書いたりする言語行為が十分に育っていないため、絵や身振り手振り、ペープサートやエプロンシアター、音楽や工作といった非言語(ノンバーバル)を使って授業をすることが求められます。低学年に限らず、中・高学年、中学生、高校生、大学生においても、非言語の視点は取り入れられるべきでしょう。もとより他者とのコミュニケーションは、言語だけではなく非言語とともに成り立つ複合的なものです。言語行為を育む国語科であるからこそ、言語と非言語を積極的に組み合わせる必要がある、という研究の結論に至りました。

当事者研究で、自分の幼少期と出会いなおす

 私のもう一つの研究の柱が、当事者研究です。当事者研究とは、北海道浦河町にある社会福祉法人「浦河べてるの家」で誕生した研究の概念です。自身の生きづらさを見つめ、仲間とともに研究をすすめていくスタイルをとります。もとは私自身が博士論文の執筆過程で吃音の当事者研究に取り組んだ経緯もあり、ゼミでの教育方針にも当事者研究の考え方を反映させています。ゼミでは3回生の時点で自分の人生を見つめ、発表し、ディスカッションすることを求めています。4回生では、当事者として自分の身に起きた問題を社会問題へ位置づけなおし、改善するための方向性を模索します。ゼミでの研究を通して生まれた「自己理解」は「他者理解」を生み出し、さらには幼少期の自分と重なるかたちで「子ども理解」を生み出します。わかっていたつもりになっていた自分の幼少期と、出会いなおすということ。当事者研究は、学生の生きづらさを和らげるとともに、子どもの内面に近づく手法でもあるのです。

絵本に感じる国語科教育のこれから

 国語科教育のこれからを考えるうえで、私は既存の教科書には限界があると感じています。現状を打開するための方向性は様々に考えられますが、その一つに絵本があります。悩みや葛藤といった人間の心の問題、発達障害、多様な性、多様な家族、外国とのつながり、貧困、虐待やDVなど、社会の問題を描いた絵本が数多く出版されています。これらのテーマを描いた絵本は、「一般的な読み物」を目指す教科書教材にはなかなか採択されません。絵本にも社会問題を直接的に表現しているものもあれば、抽象度が高かったり暗喩的に描かれていたりして、読んだ人の想像や解釈にゆだねる内容のものもあります。教員がどのような絵本を選び、授業を展開するのかは、子どもたちに育てたい言語行為や、子どもたちの置かれている状況によって異なるでしょう。まずは、教科書教材とは別に副教材として絵本を選択できる場をつくりだしたいと思っています。文学作品である絵本には、子どもたちが物語の登場人物を通して、自分のつらい体験や悩みを「間接的に」語らせることができる強みがあります。多様性を描いた絵本を探しに、今日も書店をまわる予定です(笑)

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