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建築家であり研究者であるプロフェッサーアーキテクトが描く夢
建築学部八木康夫 教授【前編】
建築や空間のあるべき姿を探究
私は大学の教員であると同時に、建築の研究者であり、建築家でもある「プロフェッサーアーキテクト(教授で建築家)」として活動しています。建築は施主(依頼者)の希望を聞くところから始まりますが、話を理解するだけでなく、言葉にならない感情や想い、人間の思考や認識などを「カタチ」にしなければなりません。言語で表されるもの、言語では表されないものを、いかに建築・空間という「カタチ」にしていくかが私の研究テーマです。その一方で戸建住宅や、京都の布団店のギャラリーなどの商店の建築やインテリアなども手掛けています。建築の研究と実務の両面から「建築・空間のあるべき姿」を探究、「人が集まり、人が楽しむ空間」の創出をめざしています。「カタチ」の意味を考えることが建築デザインの道へのきっかけに
私の父親は建設会社を営んできましたが、私が建築デザインの道に進んだのは、この父の影響があるかもしれません。子どもの頃から特にクルマのデザインに興味がありました。例えばボディラインやテールランプを見て、父と「なぜこのようなカタチになっているのか」を話し合った思い出があります。そのまま育てば、ひょっとしたらカーデザイナーになっていたかもしれません。18歳の時にフランスの著作家・詩人、ポール・ヴァレリーの「ユーパリノスあるいは建築家」というエッセイを読んだことが建築の道に進むきっかけになりました。これはソクラテスが弟子と芸術について語るという内容で、高校生の私が「カタチにはどういう意味があるのか」「かっこいいものを作る、すなわち建築とはどういうことか」を考えるきっかけになりました。
21歳の時に受賞「つくる責任」を実感
大学へ進学後は勉強の一環として海外の建築雑誌やファッション雑誌をよく読んでいて、「ニューヨークでは広場でヘアアーティストが髪を切っている」などと話していたことから、「美容室の設計をしてみないか」と依頼されました。21歳の時のことです。できあがった美容室の写真と図面を試しに建築雑誌の編集部に送ったところ、編集部から取材に来て雑誌に掲載されただけでなく、「商空間デザイン賞」という賞を受賞しました。周囲から「かっこいい」と褒められ、悪い気はしなかったのですが、同時に「つくる責任」も感じました。建築家は「人のお金」で作品を作るわけですから責任が発生する。建築家として常に学び続けないといけないと感じた機会になりました。
※右図 「商空間デザイン賞」を受賞した作品。21歳のときに手掛けた。
大学院入試の面接で知った「建築家は死ぬまで勉強」
大学院入試の面接で「建築とは何ですか」と面接官の先生に聞いたところ、「わしもよくわからん。建築家は死ぬまで勉強だ。一緒に頑張ろう」という言葉をいただきました。これが建築家としての私の考えの軸の一つになっています。その後、大学での非常勤講師などのお話をいただき、学生に教える立場になりました。建築と教育の二足のわらじをはく状態の中で、次第に「次の世代を育てたい。建築家として次の世代に伝えるべきものがある」と感じるようになりました。大学の先生になれば数多くの学生に出会え、その中には次代を支える建築家になる資質を持った人材もいるはずだと考え、大学教員になることを決めました。学生とともに学びながら「これでいいのか、このカタチでいいのか」を追求しています。
※左図 ポルトガル・ドウロ川ほとりの商業施設を提案した作品