Research 研究

開発支援の在り方とジェンダーの研究に取り組む

総合政策学部西野桂子 教授【後編】

高校で英語はトップクラス。大学入学直後に自信を打ち砕かれる

 私は高校まで熊本で育ちました。通っていた県立高校の中で、英語の成績はトップクラス。意気揚々と東京の国際基督教大学(ICU)に進学しました。しかし、私の自信は入学直後に打ち砕かれました。当時からICUの学生の多くは、海外生活経験のある帰国子女か、英語教育が充実した私立校の出身者。地方の県立高校で成績上位だったとは言え、私の語学力が通用するはずがありません。一番下のクラスから勉強することになりました。ただし幸いにも帰国子女の友人が増えて、みんなについていこうと必死に勉強しました。また、後に国連難民高等弁務官になる緒方貞子さんの授業を受けられたことも、プラスになりました。緒方教授は厳しい方でしたが、私を叱咤激励してくださり、勉強に打ち込むことができました。

国連職員の先輩との話からJPOで国連児童基金へ

 大学卒業後、私はアメリカの大学院に進学。当時外交で国際的に活躍し、「PKO(国連平和維持活動)の父」と呼ばれるようになったカナダの首相、レスター・B・ピアソンに興味を持ち、カナダの研究に取り組みました。大学院修了後は、アメリカで就職活動を開始。政府機関かウォール・ストリートで働きたかったのですが、日本人の私が政府機関で働くのは困難でした。たまたまニューヨークに国連で働くICUの先輩がいて、無邪気に「先輩はどうやって国連に就職したのですか」と聞きました。そのときに教えてもらったのが、日本政府がお金を出し、若者を国連職員として派遣する外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度。私はこの制度によって国連児童基金(UNICEF)のバングラデシュ事務所に派遣されました(注1)。

(注1)現在、JPOに応募するには ①国際機関の業務に関連する分野の修士号を取得 ②国際機関の業務に関する2年以上の職務経験が求められるが、西野教授が利用した当時は職務経験がなくても応募することができた。

見たことがない貧困に直面して感じたやり場のない怒り

 赴任前のバングラデシュのイメージは貧困と飢餓。現地に着き、思い描いていた貧困と現実とのギャップを突き付けられ、自分の無知さ加減を痛感しました。今まで見たことがない貧しさで、翌日の便で日本に帰ろうかと思ったほどです。しかし、同時にやり場のない怒りも覚えました。そんなバングラデシュでの生活は充実したもので、仕事もやりがいがありました。5年間のバングラデシュ勤務の後は、ニューヨーク事務所を経て、開発コンサルタントを起業。これらの活動は私の研究者としての道を決定づけました。開発支援の在り方を考え、開発途上国の女性の置かれた環境からジェンダーにも関心を持つようになりました。

変革を起こす側に必要な能力を養って欲しい

 技術の発展やグローバル化に伴い、これからの世界は猛スピードで変わっていくでしょう。学生の皆さんには、変革にのまれるのではなく、変革を起こす側に回って欲しい。変化の激しい時代の中では主体的に動くことが欠かせません。そのためにはさまざまな分野から総合的に考える力を養うことが必要です。総合政策学部は、そのような学びを推進しています。今、国連はSDGs(持続可能な開発目標)を推進、多くの企業がそれに対する取り組みを見せています。国連だけではできないことを民間や市民社会が協同する形ができつつあり、実際に効果も出ています。しかし、学生の皆さんには、SDGsの取り組みに関心を寄せるだけでなく、SGDs後の世界はどうなるのか、将来の世界が何を求めるのかを探究して欲しいと思います。

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